最近は人のしでかした不始末を執拗に攻め挙げる向きが多い。なぜだろうか。なぜこうなったのだろうか。

弱者が強者に対して持つルサンチマンという感情、屈折した恨みの感情。弱い立場、持たざる存在としての自分から強者への攻撃。メールやツィートで、その匿名性を利用して、虎の威を借りた勢いで攻撃する。

やっている本人は存外に小心で、人前では小さくなっている。そのくせ、インスタ映えではないが、人からほめられたい。

承認欲求という、「イイネ!」ばかりを追い求める日々。それによって自分が、その存在を認めてもらい、行為をほめてもらう喜び。それが届かないとイライラして欲求不満が暴発する。

大量の意思伝達行為が瞬時に地球規模で行えるようになったのはせいぜいこの30年。その急激な歴史が今の情況を作り出したと言って過言ではない。20世紀は人口爆発の世紀だった。世紀初めには世界人口が16億人しかいなかったのが、世紀末には70億人を超え、今や73億人となった。100年で4.6倍だ。地球上が熱してきて混み合うのも無理はない。

この間に、前世紀の産業革命を母体にして科学技術が急激に発達。2度の世界大戦とその後ベビーブーム。テクノロジーの発展は続き、パソコンが発明されるなどの異次元の出来事があった。そんなパソコンが一般市民に出始めたのは1990年代なのに、それからわずか30年で、世界は急速に手に取るように近づき、世界中のどこで何が起こっているのかが、誰でも瞬時に理解できるようになった。

そこで、人と自分を容易に見比べることが出来るようになり、持てる他人が持たざる自分には羨ましさの対象となり、嫉妬をかきたてられ、妬みとなって、いつかは暴発する。

自分を取り巻くささやかな生活の喜びを、そうと感じることが出来ずに、他人が妬ましい、羨ましい、腹が立つ。見せしめてやる!となる。この鬱屈した精神構造。持って行く、行き場のない閉塞感。これがルサンチマン(怨恨、復讐)だ。

不始末を起こして、よいわけはない。但し、程度問題はある。他人や器物にどれだけ 損傷を加えたかは重要な要素の一つではあろう。それが、当事者以外にさほどの影響を与えないにもかかわらず、外野席から執拗に攻撃を仕掛ける。そのことによって自分が逃げ場のない閉塞感の檻の中にいて、一気に気分爽快になりたいという思いをぶつける。不始末を起こし、今や弱さを持った強者を、徹底的に、匿名を良いことに

叩く。水に溺れかかった犬の頭をガンガン叩くことと何も変わらない。常識人であれば、そんなことをした後の慚愧の念にたえられないが、ルサンチマン状態の者は、身勝手な快感でしかないのだろう。なんと気の毒な事よ。それをしたところで、自分の回りには何の変化もなければ、喜びすらにも結びつかない。

不倫とかによる事象については国によってもその受け取り方には差異がある。当事者間のことだからお構いなし、から始まって、厳しく断罪するまで歴史的にも国柄によっても 大いに異なる。それも宗教が入るともっとややこしい。笑って済ませるところから死まで 追い込むところまである。これについては何の論評もする気はない。ただ世の中で、他人が起こしているこうした事件に対して、大外からあれやこれやと突きまわしてどうなるのだろう。自らへの反面教師、戒めととらえるのであればまだ発展的、生産的だが、攻撃だけが快感ならば何の意味もないだろう。

最近聞くハラスメントという言葉も、耳に心地よくない言葉だ。色々なハラスメントがあるようだが、有利な立場、強者の立場で弱者の人権や生活を踏みにじる行為がその中心だろう。昔は粗相をした生徒を教師がゲンコツを見舞うなどあった。飲みに行った酒場で女性の肩に手を伸ばしたりしたこともあった。その頃は弱い立場の者は抵抗が出来ないので、じっと耐えたり、泣き寝入りして過ぎた。今は「いい世の中になった」から、そうした時には声をあげよう、となった。その結果、人の行動は制約され、慎重になり、周囲に過敏に対応するようになった。どこで誰から、何を責められるかわからないから。

会社のビルに何重もの防御壁が出来た。本人認識カードがないと、事務所に入れないし、自分のデスクの事務機器も自分だけが知る暗号がないと使えない。これは不便でなくてなんだろう。地球の膨張が招いた窮屈な生活の束縛。不満も溜まろう。

古来わが国ではいい年になると後事を誰かに託して、自らは一線を引き、隠居して暇で自由な生活に入った。そのうち生涯を終える。今は生涯現役を標榜する人が増えた。

いつまでたっても何の束縛もない自由爛漫な日々はやってこない。その行き場のない人生行路がまた人に精神的な重しを与え続ける。

こんな窮屈な世の中で、せめてもの安らぎは、親しい人や家族との健康で平和な日々しかないのではないか。人は一人で生きていくのは寂しい。誰かと一緒の生活や交友を紡ぎ合いながら、小さな喜びを見つける日々を過ごすことが何よりの幸せではないだろうか。人を責めるのはもうやめよう。人を羨むのもやめよう。自分の身をただそう。そして日々是好日……笑顔で毎日を楽しく生きていこう。

“世の平安を求めるオジサン”より